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2022年10月01日

保険代理店として四半世紀



本日10月1日は、私が保険代理店としての仕事に
携わるようになって四半世紀25年が経ちました。
日頃からお世話になりありがとうございます!

そこからさかのぼること3年、当時の安田火災
に入社し、代理店となるべく研修を三年間みっ
ちりと受けました。保険業務は合算すれば28年…

これを語ると首を傾げる方が多くいますが、
人見知りが激しく、口下手で、小心者ゆえ、
それ以前は「『営業』という仕事は自分がやる
ものではない」とさえ考えていたほど。
言うなれば食わず嫌いと同じでした。

実際には、さまざまな人と出逢うことで、
「話すことの楽しさ、愉しさ」が分かるように
なっていきました。

多種多様な考え方や価値観に触れることで、
かつては神経質で偏重感が強く変に尖った、
ある意味カタブツな自分が、内面的に大きく
変わっていくことが実感できました。

なにしろ営業を含め、すべてがはじめてとなる
ことでしたので、本もたくさん読みました。

それ以前は、引きこもりの性質がかなり強く、
また活字ぎらいであったため、現在のように
ちょくちょく外出したり、その時々における
食事や行った先々のレビューを行うことなど
は考えられないことでした(笑)

人はこんなにも変わるものなんだと、
自分自身が驚いたしだいです。

5年前に代理店合併を経て、現在は組織内の
一員ですが、これからも起業家精神をもった
活動をしたいと存じます。

日頃から頭の中の前方においていることは、
『売り手よし、買いてよし、三方よし』、
『お客が先、利益はあと』、
『一言芳恩』。



* 写真は、東京の西新宿にある安田火災本社
 ビル(現 損保ジャパン)まえで、代理店独立
 一ヶ月前 研修を終え、講師陣と一緒に撮った
 集合写真。北は北海道から南は沖縄まで、
 総勢60名くらい集まっていました。


  

2021年07月01日

餞別に添え文を

いまの仕事をはじめたばかりの駆け出しの時代に、他の方から引き継いだ契約があります。
そこでいつも窓口になってくださった担当の女性が6月末日をもって退職されました。
(その当時、彼女はまだ二十代前半だったと思います)

そこで長年お世話になった御礼に餞別を贈ることにしました。
お品には一言 添え文をした一筆箋を忍ばせました。


長きにわたり、
 ありがとうございました!


 
#一筆箋 #手紙 #添え文
#万年筆 #万年筆インク
#pailot #パイロット
#iroshizuku #色彩雫
#色彩雫紫陽花
#上村松園 #古川美術館
  


2021年02月28日

49年の歴史にピリオド…



今年度で49年の歴史に幕を閉じる我が母校、
愛知県立新城東高等学校 』の閉校式が執り行われました。

私は10回生 … 当時校門前を走るバイパスはなく畑のど真ん中に建っている学校でした。
在学中にはまだ応援歌がなく、生徒からの公募により採用する話がありました。
自分もがんばって応募しましたが、“ おまえの曲は応援歌としてはきれいすぎる ” と
言われ、採用されなかった悔しさをいまでもよく覚えています。

本年度までは、新城高校と新城東高校、そして新城有教館高校の三校が
存在するカタチとなりましたが、次年度からは二年前に本校と新城高等学校とが
併合した 『 新城有教館高校 』 の一校になります。


愛知県立新城東高等学校 閉校式


  


Posted by EMG at 20:43感謝・ありがとう

2021年02月02日

自分の人生において多大な影響を与えた存在

わたしの人生において多大な影響を与えた唯一無二の存在…

2021年1月31日(日)、
豊橋市萱町にあった楽器店 『 サウンド スタッフ 』 が閉店となりました。

自分の人生に大きく関わってきたお店であるため、閉店の知らせを聞いたときは、
あまりにショッキングな出来事でまったく受け入れることができませんでした。

いちどお店へ足を運ぼうにも、いったいどんな顔をして行けばよいのか…
しばらく悩む日々がつづきました。

意を決してお店へうかがい、これまで大変お世話になった御礼と共に様々な話を
しているうちに、数々の想いが徐々に募り、なにかとても大切なものを失うような
喪失感が込みあげ、涙をこらえることができませんでした。

1987年3月7日(土)にオープンした日のことは、いまでも鮮明に覚えています。
豊橋駅前の広小路1丁目にあった いまは無き「ヤマト楽器店」時代からお世話に
なっていたMYMTさんとMRWKさんが率いる『サウンドスタッフ』へそのまま自分
も移っていきました。(サウンドスタッフの名前はアメリカのバンド「Stuff」から
とったと聞いています)

ギター教室やドラム教室を併設するとのことで、サウンドスタッフの
初代ギター講師を務めることになりました。まだ若かったこともあり、
レッスンがあろがなかろうが、連日お店へ通っていましたね。

2009年3月20日にいまの4階建ビル(ミカワリコピー販売 OAプラザでした)を
購入、移転。その前は二軒隣りで店舗営業していました。
その旧店舗では地下駐車スペースをライブスペースに変え稼働しました。
ここでは幾度かライブを演らせていただきました。

現在のビルの4階にあった『Live Space Zero』の名は、さきの地下スペースで
あった0階に位置するライブスペースという意味合いを継承したのだと思います。
(ちょっと記憶があいまいですが)

35歳くらいから50歳 手前までの約15年ほどは独立した仕事に一生懸命で
ギターから遠ざかっていた時期がありました。それでも時折り時間をみつけては
お店へ顔を出したりしていました。
やはり楽器屋特有の「におい」が好きなんでしょうね。

30周年の時はお祝いに駆けつけたりもいたしました。
昨年の33周年にもお祝いのメッセージを送ったばかり。

いままでお付き合いしてきた楽器屋さんはココしかありません。
ほかに通える楽器屋さんは無いため、この先どうすればよいのか…
ほんとうに哀しさでいっぱいです。(PAなど音響部門は存続するとのことです)

自分のギター音楽 Life をとても有意義にしていただいた唯一無二の存在、
サウンド スタッフ …  長きにわたり、本当にありがとうございました!



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2019年10月01日

四半世紀が経過しました



本来であれば、きょうから衣替え。

自分が中学生の頃はツメ入りの学生服を着られるこの時期が待ち遠しく、
10月1日にさっと着替えたころを懐かしく思います。

でも昨今は気象の変化で、まだまだ冬服は暑くて着られませんね。


約半年ぶりの投稿となりますが、私は元気です!


さて、昨日 火災保険の契約者Aさんから連絡をいただきました。

どうやらお隣りのクルマがAさん宅に接触し、そのためエアコンの室外機が破損し、
外壁も損傷したとのこと。

くわしくお話を聴くと、相手の自動車保険で補償してもらえるとのこと。
それゆえ安心されておりました。


では、Aさんは なぜ わたしに連絡してきたのか…。


“ EMGさん、まえに「家まわりのことで何かあったら、
  ささいなことでも構わないので連絡してくださいね」 と、言われてましたよね…。
   くわしくは忘れてしまいましたが、
    今回のケース、たしか火災保険で、
     なにか補償の対象になってたんですよね…? ”  と…


通常、相手の自動車保険で補償されれば、自分側の損害はカバーされるので、
経済的損失はゼロです。


しかし、このままにしておくと大損をしてしまいます。


実は火災保険には「他からの落下・飛来」という補償項目があり、今回のようなクルマが
突っ込んできた場合など、補償の対象になります。

もし、相手が無保険であったり、当て逃げ逃げされたような時に、修理費は火災保険から
支払ってもらえます。ただ今回のケースのように、相手の自動車保険で全額補償を受けら
れる場合は、そちらが優先されるため、二重取りはできません。

「じゃぁ、火災保険はここでは何の意味があるの?」と言われそうですが、火災保険の規定には、
『臨時費用 保険金』といって、損害額の10〜30% がもらえる仕組みがあります。
(パーセンテージは保険の内容によって異なります。0%のモノも存在します)

言ってみれば、お見舞金のような仕組みです。


では、先のケースでみてみると、室外機と外壁の修理費が仮に100万円だったとします。
実にその金額の10〜30%の金額が火災保険から支払われるのです。

通常であれば、相手の自動車保険でちゃんと補償されるため、そこだけで終わってしまった
であろうことも容易に想像できます。

だから、

 「家まわりに何かあったときには…」 、

   なのです。


保険担当者の『存在』というのが、いかに大事であるかと言う話でした。



きょうは、5年に一度の資格更新テスト。
いってみれば、保険従事者の免許証のようなものです。


さらには保険の仕事に従事して、きょうで丸25年、四半世紀が経過しました。

26年目に向けて、更にがんばります!


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2019年04月03日

いよいよ新しい時代の幕開け


【 天皇陛下御即位三十年・御成婚六十年 記念写真集 】


平成31年4月1日の月曜日に新しい元号が発表されるとき、
みなさまは、どのような心境でしたでしょうか?

自分はそれまでワクワク・ドキドキしながらも発表の瞬間は、
いま振り返ってみれば、無心だったように思いました。

その時間帯は、テレビのない場所に居たため、
ケータイのワンセグを手に持ち、起立して視ておりました。


『令和』は、万葉集から引用されたとのことで、たいへん感銘を受けました。




「平成」に元号が改元されたときは、昭和天皇が崩御された翌日。
悲しみの中での改元であったため、当時の改元時の心境と、この度の心境とでは、
かなり異なります。昭和天皇が崩御された時は、たしか黒服で喪に服していました。

そして、平成の時代となり、この時代はあらゆる面で自分の転換期になりました。


天皇陛下御即位三十年記念切手帳


天皇陛下御在位30年記念貨幣


私は、日本人の多くが誇りをもって生きていると考えています。
たとえ、そうでない人も、この度の元号改正により、国柄や国民文化について
深く知ることになり、誇り高く感じられるようになったのではないでしょうか…。





この一ヶ月間は、平成の時代をいま一度しっかりと、ふり返ってみたいと思います。
 
   


2019年03月31日

町内の役も三期連続、これで…



本日で3年間、連続で務めた町の役が終わります。

やるからには楽しくやろうと決めていたので、充実した日々を送ることができました。
何よりそれまで全く行き来のなかった方々とのご縁ができたことが一番大きな喜びです。

3年連続となった経緯は、平成28年に栄町町内会 会長兼、豊川一区(町内会)の
副区長だった年の年度末に事件が起こりました。




そのまえに町内会と連区のかかわりについてお話します。

一般的に町内会は行政とのお付き合いと、連区とのお付き合いとに分かれます。
私が属する町内は「栄町」。よって行政に対しては「栄町町内会」として活動します。

連区は「豊川連区」。豊川小学校区・桜木小学校区・豊小学校区の三校区の集合体で、
20町内が属しています。

この連区に対しての仕事がなかなか大変で、毎月の正副区長会をはじめ、
豊川稲荷の大祭、豊川進雄神社の例大祭、みたま祭り、豊川稲荷で開催される
豊川一大きな長寿慶祝会など、大きなイベントに関わります。

そのため弱小な町内では区長のなり手がなかなか見つかりにくいなど難題が多いため、
周辺町内である栄町・西本町・門前町で連合を組み、連区に対しては平成22年から
「豊川一区」町内会として活動しています。

そして、三町内が回り順でで区長・副区長をやることにもなっていました。




話を戻すと、私は平成28年度は栄町町内会の会長で、
かつ豊川一区の副区長を務めていました。
そして平成29年度の区長を決める時期がきました。
その年の区長は栄町が担当することになっています。

しかし栄町の会長が決まらないのです。実は平成30年度に豊川一区から連区長を
輩出しなければいけないことが決まっていました。つまり平成29年度の区長が
連区長を見つけるために翻弄する構図が浮かび上がります。

しかしながら、すでに連区長などの大役は見つけることが難しいと前々から叫ばれていました。

結局、会長は決まらず、栄町、そして豊川一区でいくども会議を重ねた挙句、
連区の脱退ということに決まりました。豊川進雄神社の地理的に中心に位置する町内が
抜けることになり、連区には動揺が走りました。

その後、当時の連区長が、たびたび町内に懇願に訪れるなどあり、最終的には私が次の
豊川一区の区長を務めることになりました。

そして問題だった平成30年度の連区長の輩出も自らお願いに出向き、無事に決まりました。
私がお願いしにいったという経緯もあり、もう一年区長をやることにしたが本年度。




その本年度は、試験的にまず栄町の町内運営の仕方を改革しました。
町内会の会長と区長を兼務する体制をやめて、なるべくひとりに負担が生じないよう
町内会における行政に関する仕事は町内会長が、そして連区に関する仕事は豊川一区の区長が
行うといった体制に変えました。

つまり、対内的な仕事は会長、そして対外的な仕事は区長といった具合に。
ちなみに町内会長には女性を選出しました。


そして次年度は、豊川一区の正副区長は、三町内間の周り順番を撤廃し、
豊川一区内、つまり三町内から2人を選出する方法をとりました。

また、当 栄町内会では、次年度は会長・副会長ともに女性を選出しました。
なかなか良い雰囲気で町の運営ができそうで楽しみなところであります。




あす4月1日からはお役御免ではありますが、
実は区長を選ぶ際にさらに仕事量を減らすために資料作成や配布、期日管理などの
わずらわしい仕事を事務局を設置してそれらを担う約束をしたため、非公式ではありますが
私が事務局長を務める所存です。

ほんの何年か前までは、町内の役に関しては、できれば避けて通りたいと考えていた
人間ですが、町に携わったことで、なかのことがよく分かるようになってきました。

表参道ではそれまで挨拶できるような人は皆無でしたが、いまでは多くのご縁ができ、
嬉しく感じています。
 

さて、元号は何になるんでしょうか… ワクワク、どきどきしますね。  

2018年04月12日

また春にお目にかかれるよう…

もう20年以上お世話になっている火災保険のお客さん。
ことし、米寿になられます。

桜の花咲くこの時期にいつもお邪魔しています。
足腰が悪くなってしまったそうで、室内でもカートをひいていました。

“ ゴンダさん、もうことしで(火災保険の更新は)最後になるかもしれんやぁ、
 命がないかもしれん… ” と。

最近、奥さんは施設に入ってしまい、自分はいつも暇をしているのでパズルを
やっているそう。500ピースが完成し、いま1000ピースのものに挑戦中とのこと。

完成したパズルをどこかでもらってほしいらしく、見せてもらったら屋久島の風景を
写した立派なパズルでした。 これなら欲しいところはあるだろうと。

わたしが欲しいくらいでしたが、あらかさまには言えませんでしたので、奥さんの施設に
でも持って行ったら喜ばれるのではないかとお話します。

そこでボソっと、“ わたしが欲しいくらいですよ ” と、つぶやいたら、
“ もらってくれるかん!? ” と、うれしそう。

“ これでまたパズルのやりがいがでてきたやぁ ” と、満面の笑みを浮かべて
いらっしゃいました。




いただいたパズルはさっそく事務所のお客さんから一番目立つところへ設置。






今生の別れになるのはつらいので、また来年、春にお目にかかれるよう、
お礼のおハガキを書きました。

  

2017年11月02日

氏神様への参拝



豊川連区の用事で豊川進雄神社の社務所へ行くことが多々あるのですが、
そのような時でも鳥居の前で一礼して参道を渡り、社殿でお参りを済ませてから
社務所へ寄るようにしています。

ちなみに私は、お賽銭は 111円 と決めています。



  

2017年10月11日

我ながら良いデキです

ときおり、ふで文字でハガキに書いてみます。
我ながら良いデキだと感じました。


  
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