保険販促委員会 Ver.どすごいブログ › 2010年04月
2010年04月29日
春の旅 大阪編

姫路城をあとにし、今度は大阪へと向かいました。
行った先は大阪城公園。
ここに豊臣秀吉が莫大なお金を投じた大阪城があり、お堀を含めた城郭は巨大です。
6年前にも一度ここへ来たことがありましたが、この頃は、まだお城にはまったく興味がなく、ただ何となくお城の中に入ったといった感じです。
今回は時間の関係上、城内には入りませんでしたが、外観だけ楽しできました。


大阪城の天守閣は、鉄筋コンクリート造りの昭和初期の第一号復興天守です。城マニアから言わせると魅力的に欠けるかもしれませんが、私は天守閣そのものが好きなので、外観を観られることで大満足です。
大阪城は豊臣時代の豊臣大阪城と、その後の徳川時代に再建された徳川大阪城とに分けられます。
現在の復興天守は、一層から四層目までは豊臣大阪城、五層目は徳川大阪城と、双方の時代の天守を合わせたカタチで建てられています。
ただ大阪城周りには大きなビルが立ち並んでいるので、城廻りの景観はあまり好きにはなれません。

大阪城周辺には大阪造幣局があり、そちらの桜を観に行こうと考えていたのですが(行った時期には通り抜けは出来ません)、地図の見方を誤ったせいで、城の堀からの抜け方に迷ってしまい、結局行き着くことが出ずタイムアウトとなってしまいました。
残念な思いではありましたが、またの機会の楽しみにしておきます。
ふと、これまで旅した方面を振り返ってみると、行き先は西の方面が圧倒的に多いから不思議です。意識しているわけではないのですが、きっと西の方が自分の趣向に合っているのかもしれません。
春を満喫した旅となり、楽しいひと時を過ごしました。
Posted by EMG at
22:42
│神社・仏閣/歴史・城
2010年04月24日
春の旅 姫路編
少し日があいてしまいましたが、前回からの続きです。(前回は ⇒⇒⇒)
この日は念願叶って、いざ世界遺産であり、国宝四城の一つでもある姫路城へと攻め込みました。
他の国宝である犬山城、彦根城、松本城はすでに攻め落としていたので残すは、ここ姫路城のみとなり、姫路駅に着くなりワクワクしてきました。
彦根城と同様、駅を降りると真向かいにその城はそびえ建っていました。あまりの大きさに圧倒されてしまい思わず、“おぉ~ッ”と声が出てしまったくらいです。


愛知では満開となった桜は、ここ姫路ではまだ5部咲き6部咲きといったところでしょうか。
翌週ならば、さらに見頃となっていたことでしょう。

まずは天主へ向かう前に、徳川秀忠の娘(家康の孫娘)で豊臣秀頼の正室、のちに本多忠刻の正室となった「千姫」ゆかりの西の丸にある百間廊下へと向かいました。
御殿を囲むように建てられた長さ300m近い建物の中には、千姫お付きの女性たちが住んでいた長局(ながつぼね)があり、それに続いて千姫が身支度をしたり化粧直しを行なったりする化粧櫓があります。


千姫も日々、このような感じでこの美しい城景色を眺めていたのでしょうね。

それにしても、姫路城は絵になりますね。すばらしいの一言です!
この美しく巨大な姫路城、実は豊橋にある吉田城とは関係が深いのです。
現在見られるような姫路城へと整備したのが、徳川家康の娘婿である池田輝政という武将です。
池田輝政は関ヶ原の戦いで、徳川方の東軍にくみし、功を挙げたことで姫路に移封されましたが、姫路に入るまえの居城が、なんと吉田城なのです。
なので私は吉田城に関してはある意味、出世城だと思っています。
このことを知ると吉田城も侮れませんね。

百間廊下を拝観したのちは、いよいよ本丸の天主を目指します。
二の丸から本丸へと続く通路は何ヶ所にも折れ曲がり、幾つもの門をくぐり抜けて行き、その門には「いの門」、「ろの門」といった具合に、い・ろ・は・に・ほ・へ・と・ち・り・ぬ等の名前がついています。
それぞれ門につながる通路は狭く、また門と門とのあいだを小さく区画とすることで、敵兵を袋小路にする役割も担っています。
天守閣まで行くには通常上り坂をかけ上がっていくのですが、途中、下り坂になっているところがあり、これは敵兵に錯覚をおこさせるための仕掛けだそうです。
天守閣の北側には腰曲輪という長屋があり、そこに塩や米を蓄え籠城に備えていました。


池田輝政の居館があった備前丸には「扇の勾配」と呼ばれる石垣があり、文字のごとく扇型をしており、よじ登ることが困難なように工夫されています。
こう観ると、攻防の城としての工夫が随所に見られ、敵として考えた場合、そう簡単にはこの城を攻め落とすことは出来ないなと思ってしまいます。

この城の景観はほんとうに美しいですね。
世界遺産として認定されるのもうなづけます。

さて、やっとの思いで天守閣に入ることができました。
重厚な扉や屋根の梁は当時のままでしょうか・・・ 時代の重みを感じます。

天守閣内から望む景色もすばらしいですね。
真向かいには姫路駅が見えます。

至る所で、絵になる場所がありカメラが手放せませんでした。


このお城は西大柱・東大柱といわれる二本の柱で支えられています。
東大柱は、根元の補強だけでいまも昔のままですが、西の大柱は昭和の大改修の時に、木曽国有林の樹齢780年の檜と地元神埼郡笠型神社の樹齢670年の檜を3階部分で継ぎ足したそうです。

ここは備前丸からの撮影。
先述の通り、ここは池田輝政の居館があった場所で、ここから天守閣に登ることができたそうですが、明治の失火で焼失してしまったそうです。とても残念ですね。

この季節に観るお城は、桜との相性がバツグンです。
観る者をとても魅了してくれます。


最後に凛と構えた姫路城を・・・
この日は全般的に晴れていたのですが、天守閣付近だけに雲がかかり、時折あられが降ってきたりと不思議な天候でした。
姫路城はすでに全面改修に入ったため、完全な姿を見せるのは五年後らしいです。この日も一部改修のため観られない場所もあったのですが、全面改修が終わった後にはまた訪れてみたいなと思っています。


念願の姫路城のあとは大阪へと・・・
この日は念願叶って、いざ世界遺産であり、国宝四城の一つでもある姫路城へと攻め込みました。
他の国宝である犬山城、彦根城、松本城はすでに攻め落としていたので残すは、ここ姫路城のみとなり、姫路駅に着くなりワクワクしてきました。
彦根城と同様、駅を降りると真向かいにその城はそびえ建っていました。あまりの大きさに圧倒されてしまい思わず、“おぉ~ッ”と声が出てしまったくらいです。


愛知では満開となった桜は、ここ姫路ではまだ5部咲き6部咲きといったところでしょうか。
翌週ならば、さらに見頃となっていたことでしょう。

まずは天主へ向かう前に、徳川秀忠の娘(家康の孫娘)で豊臣秀頼の正室、のちに本多忠刻の正室となった「千姫」ゆかりの西の丸にある百間廊下へと向かいました。
御殿を囲むように建てられた長さ300m近い建物の中には、千姫お付きの女性たちが住んでいた長局(ながつぼね)があり、それに続いて千姫が身支度をしたり化粧直しを行なったりする化粧櫓があります。


千姫も日々、このような感じでこの美しい城景色を眺めていたのでしょうね。

それにしても、姫路城は絵になりますね。すばらしいの一言です!
この美しく巨大な姫路城、実は豊橋にある吉田城とは関係が深いのです。
現在見られるような姫路城へと整備したのが、徳川家康の娘婿である池田輝政という武将です。
池田輝政は関ヶ原の戦いで、徳川方の東軍にくみし、功を挙げたことで姫路に移封されましたが、姫路に入るまえの居城が、なんと吉田城なのです。
なので私は吉田城に関してはある意味、出世城だと思っています。
このことを知ると吉田城も侮れませんね。

百間廊下を拝観したのちは、いよいよ本丸の天主を目指します。
二の丸から本丸へと続く通路は何ヶ所にも折れ曲がり、幾つもの門をくぐり抜けて行き、その門には「いの門」、「ろの門」といった具合に、い・ろ・は・に・ほ・へ・と・ち・り・ぬ等の名前がついています。
それぞれ門につながる通路は狭く、また門と門とのあいだを小さく区画とすることで、敵兵を袋小路にする役割も担っています。
天守閣まで行くには通常上り坂をかけ上がっていくのですが、途中、下り坂になっているところがあり、これは敵兵に錯覚をおこさせるための仕掛けだそうです。
天守閣の北側には腰曲輪という長屋があり、そこに塩や米を蓄え籠城に備えていました。


池田輝政の居館があった備前丸には「扇の勾配」と呼ばれる石垣があり、文字のごとく扇型をしており、よじ登ることが困難なように工夫されています。
こう観ると、攻防の城としての工夫が随所に見られ、敵として考えた場合、そう簡単にはこの城を攻め落とすことは出来ないなと思ってしまいます。

この城の景観はほんとうに美しいですね。
世界遺産として認定されるのもうなづけます。

さて、やっとの思いで天守閣に入ることができました。
重厚な扉や屋根の梁は当時のままでしょうか・・・ 時代の重みを感じます。

天守閣内から望む景色もすばらしいですね。
真向かいには姫路駅が見えます。

至る所で、絵になる場所がありカメラが手放せませんでした。


このお城は西大柱・東大柱といわれる二本の柱で支えられています。
東大柱は、根元の補強だけでいまも昔のままですが、西の大柱は昭和の大改修の時に、木曽国有林の樹齢780年の檜と地元神埼郡笠型神社の樹齢670年の檜を3階部分で継ぎ足したそうです。

ここは備前丸からの撮影。
先述の通り、ここは池田輝政の居館があった場所で、ここから天守閣に登ることができたそうですが、明治の失火で焼失してしまったそうです。とても残念ですね。

この季節に観るお城は、桜との相性がバツグンです。
観る者をとても魅了してくれます。


最後に凛と構えた姫路城を・・・
この日は全般的に晴れていたのですが、天守閣付近だけに雲がかかり、時折あられが降ってきたりと不思議な天候でした。
姫路城はすでに全面改修に入ったため、完全な姿を見せるのは五年後らしいです。この日も一部改修のため観られない場所もあったのですが、全面改修が終わった後にはまた訪れてみたいなと思っています。


念願の姫路城のあとは大阪へと・・・
Posted by EMG at
22:49
│神社・仏閣/歴史・城
2010年04月13日
春の旅 神戸編(2)
前回からの続きです。(前回は⇒⇒⇒)
ホテルで荷物を預かっていただき、今度は元町方面へと歩き出します。
この辺りは神戸の中枢なのでしょう、県庁や県警など大きな建物がそびえ立っています。
すぐ近くには明治35年に兵庫県本庁舎として完成したフランス・ルネサンス様式の兵庫県公館が保存されていました。私の母方の祖父がその昔、ここで勤めていたようです。
この建物の風景は絵になるのか、正門をバックにカメラマンがモデルさんの写真を撮っていました。

それを横目にしばらく歩くと元町駅に到着。
路線は高架になっていて、いくつもの小さなお店が駅下ガード内にお店を構えていました。
昔ながらの風情があり、なにかとても不思議(ちょっと危険)な感じが漂う場所で、少しそそられてしまいました。若い方がお店を営んでいるところも多くあり、きっと時代とともにお店そのものが変わってきたのでしょう。

南京町は元町駅のすぐ近く。西安門が見えてきました。
その門をくぐると日曜日とあってか、ものすごい人の数。ちょっと驚きです。
お昼を食べた後でしたが、せっかくなので肉まんを流行っていそうなお店を見つけて食してみました。

南京町をあとに、今度は旧居留地を歩いてみることに。
ここは整備されたすごく綺麗な街並みで、古き良き洋館の佇まいの中にブランドのお店などが入っており、それがうまくとけ込んでいました。

旧居留地を抜けると高層の神戸市役所が目の前にあります。
24階の展望ロビーから眺める景色はすばらしく、六甲山やポートアイランドが一望できます。
真下を望むとそこは東遊園地。毎年1月17日におこなわれる阪神・淡路大震災の追悼行事では、主要会場のひとつとなっている場所です。

その東遊園地に行ってみると時計を抱えたマリーナ像があり、震災時に倒れたこことで時計が壊れ、5時46分で止まっていました。

次に神戸港へと歩き、メリケンパークと神戸港震災メモリアルパークに向かいました。

神戸港震災メモリアルパークでは当時のままが残されていました。
地震による凄まじさを物語っています。

穏やかな美しい神戸港を眺めていると、あのような大惨事が起こったとは想像がつきません。震災当時、私はすでにいまの仕事に携わっていましたので、忘れることのできない一日です。

今度はそこからハーバーランドとモザイクガーデンへ。
神戸港ならではの景色ですね。

ここでふと、なにやら工事をしている人たちが目に入りました。
しばし見ていると・・・ 動きがない!

よく見てみると、なんとマネキンでした。
なかなかおもしろいパフォーマンスだなと・・(笑)

この辺りは、そのむかし宮内庁が土地建物を購入し、明治天皇の御用邸になっていたそうです。広さは3,970坪と広大な敷地でした。
その後、東京倉庫(三菱倉庫の前身)が買取り、高浜ターミナルを建設し、現在ハーバーランドの複合施設モザイクに生まれ変わりました。
東京倉庫が御用邸を買い取ったのは岩崎弥太郎氏が死去したあとのことですが、彼が存命しているとき、既にこの地への進出をねらい定めていたのであろうか?と、いらぬ興味がわいてきました(笑)

日も段々と落ち夕暮れとなり、モザイクガーデンに明かりが灯りはじめます。

日中と日没とでは街の顔が異なって見えますね。
夜はとても空想的な感じがします。

ここからJR神戸駅まで行き、三宮まで戻ります。
お腹もすき、どこで食事をしようかと考えたあげく、昼食と同じように事前にガイドブックで調べてあったお店に行くことにしました。
洋食 「いくた」という昔ながらの洋食屋です。
ショーウインドウにあるロウで作られたメニューがとても懐かしく感じられます。
お店に入るとほぼ満席状態。とても期待が出来そうな感じです。

厨房には熟練の男性コックさん(シェフというよりこの呼名が相応しいと思う)が二人でこなし、若い女性二人がウェイトレスでした。
メニューに「テキ」と書いてあったのビフテキのことかと聞いてみると、やはりそう。
これとハンバーグのグラタンセットを注文。
きっとこれらのメニューや盛り付けなど、むかしから変わってないのだなと感じました。ナイフとフォークは紙ナプキンにグルッと巻かれた状態で出てきて、これもまた懐かしい。
味はといえば、ありきたりの言葉で申し訳なのですが、むかしながらの懐かしい味わい。デミグラスソースがとてもおいしい! スープも付き値段もたいへん手頃で大満足。


実はこのお店、昼に入ったお店と同じビルにありました。
ランチは2階、ディナーは一階で。

お腹も満腹となり満足気に本日宿泊するホテルへと帰路につきます。
ロビーにある家具はアールデコ調。
なかなかシックな装いのホテルです。

さて翌日は念願の姫路城。 <つづく>
ホテルで荷物を預かっていただき、今度は元町方面へと歩き出します。
この辺りは神戸の中枢なのでしょう、県庁や県警など大きな建物がそびえ立っています。
すぐ近くには明治35年に兵庫県本庁舎として完成したフランス・ルネサンス様式の兵庫県公館が保存されていました。私の母方の祖父がその昔、ここで勤めていたようです。
この建物の風景は絵になるのか、正門をバックにカメラマンがモデルさんの写真を撮っていました。

それを横目にしばらく歩くと元町駅に到着。
路線は高架になっていて、いくつもの小さなお店が駅下ガード内にお店を構えていました。
昔ながらの風情があり、なにかとても不思議(ちょっと危険)な感じが漂う場所で、少しそそられてしまいました。若い方がお店を営んでいるところも多くあり、きっと時代とともにお店そのものが変わってきたのでしょう。

南京町は元町駅のすぐ近く。西安門が見えてきました。
その門をくぐると日曜日とあってか、ものすごい人の数。ちょっと驚きです。
お昼を食べた後でしたが、せっかくなので肉まんを流行っていそうなお店を見つけて食してみました。

南京町をあとに、今度は旧居留地を歩いてみることに。
ここは整備されたすごく綺麗な街並みで、古き良き洋館の佇まいの中にブランドのお店などが入っており、それがうまくとけ込んでいました。

旧居留地を抜けると高層の神戸市役所が目の前にあります。
24階の展望ロビーから眺める景色はすばらしく、六甲山やポートアイランドが一望できます。
真下を望むとそこは東遊園地。毎年1月17日におこなわれる阪神・淡路大震災の追悼行事では、主要会場のひとつとなっている場所です。

その東遊園地に行ってみると時計を抱えたマリーナ像があり、震災時に倒れたこことで時計が壊れ、5時46分で止まっていました。

次に神戸港へと歩き、メリケンパークと神戸港震災メモリアルパークに向かいました。

神戸港震災メモリアルパークでは当時のままが残されていました。
地震による凄まじさを物語っています。

穏やかな美しい神戸港を眺めていると、あのような大惨事が起こったとは想像がつきません。震災当時、私はすでにいまの仕事に携わっていましたので、忘れることのできない一日です。

今度はそこからハーバーランドとモザイクガーデンへ。
神戸港ならではの景色ですね。

ここでふと、なにやら工事をしている人たちが目に入りました。
しばし見ていると・・・ 動きがない!

よく見てみると、なんとマネキンでした。
なかなかおもしろいパフォーマンスだなと・・(笑)

この辺りは、そのむかし宮内庁が土地建物を購入し、明治天皇の御用邸になっていたそうです。広さは3,970坪と広大な敷地でした。
その後、東京倉庫(三菱倉庫の前身)が買取り、高浜ターミナルを建設し、現在ハーバーランドの複合施設モザイクに生まれ変わりました。
東京倉庫が御用邸を買い取ったのは岩崎弥太郎氏が死去したあとのことですが、彼が存命しているとき、既にこの地への進出をねらい定めていたのであろうか?と、いらぬ興味がわいてきました(笑)

日も段々と落ち夕暮れとなり、モザイクガーデンに明かりが灯りはじめます。

日中と日没とでは街の顔が異なって見えますね。
夜はとても空想的な感じがします。

ここからJR神戸駅まで行き、三宮まで戻ります。
お腹もすき、どこで食事をしようかと考えたあげく、昼食と同じように事前にガイドブックで調べてあったお店に行くことにしました。
洋食 「いくた」という昔ながらの洋食屋です。
ショーウインドウにあるロウで作られたメニューがとても懐かしく感じられます。
お店に入るとほぼ満席状態。とても期待が出来そうな感じです。

厨房には熟練の男性コックさん(シェフというよりこの呼名が相応しいと思う)が二人でこなし、若い女性二人がウェイトレスでした。
メニューに「テキ」と書いてあったのビフテキのことかと聞いてみると、やはりそう。
これとハンバーグのグラタンセットを注文。
きっとこれらのメニューや盛り付けなど、むかしから変わってないのだなと感じました。ナイフとフォークは紙ナプキンにグルッと巻かれた状態で出てきて、これもまた懐かしい。
味はといえば、ありきたりの言葉で申し訳なのですが、むかしながらの懐かしい味わい。デミグラスソースがとてもおいしい! スープも付き値段もたいへん手頃で大満足。


実はこのお店、昼に入ったお店と同じビルにありました。
ランチは2階、ディナーは一階で。

お腹も満腹となり満足気に本日宿泊するホテルへと帰路につきます。
ロビーにある家具はアールデコ調。
なかなかシックな装いのホテルです。

さて翌日は念願の姫路城。 <つづく>
2010年04月11日
春の旅 神戸編(1)
3月の下旬、大阪・神戸・姫路の旅に出かけてきました。
一番の目的は、姫路城の拝観です。
4月12日から「平成の大修理」が始まるため、しばらくの期間(5年)天主閣に登ることが出来なくなりますので、その前にと思い出かけてきました。
今回一泊の予定でしたのでまずは神戸から。神戸には20代後半の時に行って以来です。
当時、上海人と仲がよく、豊橋市に住む彼ら数人とクルマで神戸まで行き、現地でさらに彼らの友人と落ち合い、10人ほどで三宮の異人館や元町の南京町で遊んだことがありました。
その時の日本人はただ一人、私だけでしたが・・・
そんな思い出のある神戸・JR三宮駅に着いたのはお昼まえ。

まずは北野異人館街へと足を進めました。
どことなく独特の雰囲気を感じるのは私だけでしょうか・・
緩やかな坂道を歩いていくと、徐々に異国情緒あふれる雰囲気になってきました。
パラスティン邸の一階では喫茶室としてスターバックスが営業していました。

こちらは、元アメリカ総領事ハンターシャープ氏の邸宅です。
SAXを吹くポッチャリした人の銅像がペンチにドッシリ座っていましたが、なにか愛らしさを感じます。そのせいか、そのとなりに座り写真を撮っている方もいらっしゃいました。

そして、こちらは有名な風見鶏の館である旧トーマス住宅。1977年にNHKでドラマ「風見鶏」の撮影に使われ、それきっかけに異人館ブームが起こったとされています。

この異人館街には、平清盛が福原遷都により京都・北野天満宮を勧請して社殿を造営したと伝えられる神戸・北野天満神社があります。
異国情緒豊かな街並みに日本古来の建造物もあり、和と洋が入り交じった不思議な感じのする街でした。もう少しゆっくりと街並みを見て回りたかったのですが、時間の都合により街並みをあとにします。

三宮駅近くでお昼を食べようと、あらかじめガイドブックで下調べをしておいたお店に予約を入れていたため、足早にお店まで。
スマートフォンのGPS機能を頼りになんとか時間までにお店に到着。
お店の名は『お寿司とお料理のお店 「一や」 』。
ドアを開け店内はいるとJAZZが流れる和のお店。
落ち着いた雰囲気の大人のお店でした。
しかしながら日曜日とあってか、お客さんは他にはおらず、会計を済ませお店を出るまでの間、結局ほかにお客さんは入ってきませんでした(笑)
たぶんこのお店、夜がメインのお店なんでしょう。

お店を出てすぐ目の前に行列が出来ていたので、何かと思いきやたいそこには焼き屋が。ふだん行列に並ぶことが嫌いな私ですが、ちょっと食してみたい気分だったので並んでみることに。
しかし食べてみて唖然・・・ 全然おいしくないのです。
小倉あんに塩が足りないといった感じで甘みが感じられません。
やはりこちらの地域の方々とは味覚に若干違いがあるのかもしれません。

不満ながらもそのたい焼きをほお張りながら、ホテルへと向かいます。
チェックインまで時間がありますので、荷物だけ預けていただきます。
宿泊するところはここ。「ホテル トアロード」。
異人館のトアロード通りに面する英国調の佇まいのホテルです。

ホテルの玄関口横にはチャペルがあり、ちょうどここで演奏会が行われていました。せっかくなので少しだけ聴いてみることに。
三人の女性が奏でる演奏は、やわらかい音色がチャペル全体に響きわたりとても心地良かったです。

手荷物を預かってもらい身軽になったため、南京町のある元町方面へと繰り出します。
<つづく>
一番の目的は、姫路城の拝観です。
4月12日から「平成の大修理」が始まるため、しばらくの期間(5年)天主閣に登ることが出来なくなりますので、その前にと思い出かけてきました。
今回一泊の予定でしたのでまずは神戸から。神戸には20代後半の時に行って以来です。
当時、上海人と仲がよく、豊橋市に住む彼ら数人とクルマで神戸まで行き、現地でさらに彼らの友人と落ち合い、10人ほどで三宮の異人館や元町の南京町で遊んだことがありました。
その時の日本人はただ一人、私だけでしたが・・・
そんな思い出のある神戸・JR三宮駅に着いたのはお昼まえ。

まずは北野異人館街へと足を進めました。
どことなく独特の雰囲気を感じるのは私だけでしょうか・・
緩やかな坂道を歩いていくと、徐々に異国情緒あふれる雰囲気になってきました。
パラスティン邸の一階では喫茶室としてスターバックスが営業していました。

こちらは、元アメリカ総領事ハンターシャープ氏の邸宅です。
SAXを吹くポッチャリした人の銅像がペンチにドッシリ座っていましたが、なにか愛らしさを感じます。そのせいか、そのとなりに座り写真を撮っている方もいらっしゃいました。

そして、こちらは有名な風見鶏の館である旧トーマス住宅。1977年にNHKでドラマ「風見鶏」の撮影に使われ、それきっかけに異人館ブームが起こったとされています。

この異人館街には、平清盛が福原遷都により京都・北野天満宮を勧請して社殿を造営したと伝えられる神戸・北野天満神社があります。
異国情緒豊かな街並みに日本古来の建造物もあり、和と洋が入り交じった不思議な感じのする街でした。もう少しゆっくりと街並みを見て回りたかったのですが、時間の都合により街並みをあとにします。

三宮駅近くでお昼を食べようと、あらかじめガイドブックで下調べをしておいたお店に予約を入れていたため、足早にお店まで。
スマートフォンのGPS機能を頼りになんとか時間までにお店に到着。
お店の名は『お寿司とお料理のお店 「一や」 』。
ドアを開け店内はいるとJAZZが流れる和のお店。
落ち着いた雰囲気の大人のお店でした。
しかしながら日曜日とあってか、お客さんは他にはおらず、会計を済ませお店を出るまでの間、結局ほかにお客さんは入ってきませんでした(笑)
たぶんこのお店、夜がメインのお店なんでしょう。

お店を出てすぐ目の前に行列が出来ていたので、何かと思いきやたいそこには焼き屋が。ふだん行列に並ぶことが嫌いな私ですが、ちょっと食してみたい気分だったので並んでみることに。
しかし食べてみて唖然・・・ 全然おいしくないのです。
小倉あんに塩が足りないといった感じで甘みが感じられません。
やはりこちらの地域の方々とは味覚に若干違いがあるのかもしれません。

不満ながらもそのたい焼きをほお張りながら、ホテルへと向かいます。
チェックインまで時間がありますので、荷物だけ預けていただきます。
宿泊するところはここ。「ホテル トアロード」。
異人館のトアロード通りに面する英国調の佇まいのホテルです。

ホテルの玄関口横にはチャペルがあり、ちょうどここで演奏会が行われていました。せっかくなので少しだけ聴いてみることに。
三人の女性が奏でる演奏は、やわらかい音色がチャペル全体に響きわたりとても心地良かったです。

手荷物を預かってもらい身軽になったため、南京町のある元町方面へと繰り出します。
<つづく>
2010年04月10日
今年のさくら at Sakurabuchi
先日、新城の桜淵で今年のさくらを観てきました。
天候もすこぶる良く、多くの人でにぎわっていました。
温暖化の影響か、3月下旬にはすでに散ってしまった時期もありましたが、今年は入学シーズンに合わせたかのような、絶好のタイミングで満開に花咲くさくらたち。
よく見慣れた景色でもこのさくらのおかげで、情緒異なる風情となり、改めて新鮮な気持ちになるのは、なんとも不思議なかぎりです。やはり桜は日本人のこころに宿るとても魅惑的な存在なのでしょう。

ソメイヨシノなど多くの桜は遠まきに観ると薄いピンク色に見えますが、近くで見ると花そのものは限りなく白色にちかいですね。ピンク色に見えるのは花びらを支えている萼(ガク)が透けて見えるからでしょうか・・・

それにしても、さくらを写真に収めるのは、案外むずかしいものです。
これを撮る前に上手に撮る方法の知識を少しだけ頭に入れたのですが・・・

今年の桜淵のさくらには木々にナンバリングされた札がついていました。
のちに知ったのですが、どうやら「さくらの伝道師」であるこの方が樹種調査のために施されたようです。
この方の熱い想いによって、この地のさくらは今後益々すばらしいものになっていくのではないかと思います。
ところで、この時期になると桜の名所となっている地域が報道されたりしますが、東三河は見所のある場所が多く点在しているなと感じています。
私の住む豊川においては佐奈川沿いをはじめ、自衛隊の通りや市役所に隣接する桜トンネルなどなど。これだけ立派にさくらの木々が立ち並ぶ場所もめずらしいのではと、感じるほどです。
下の画像は、桜トンネル。やはりさくら全体をきれいに写しだすのはむずかしい。

今年もおおいに堪能することができ、幸せな気持ちになりました。
さくらに感謝ですね。
▼ 【100万本の桜の街の奮闘日記】
http://sakurazaka.dosugoi.net/
天候もすこぶる良く、多くの人でにぎわっていました。
温暖化の影響か、3月下旬にはすでに散ってしまった時期もありましたが、今年は入学シーズンに合わせたかのような、絶好のタイミングで満開に花咲くさくらたち。
よく見慣れた景色でもこのさくらのおかげで、情緒異なる風情となり、改めて新鮮な気持ちになるのは、なんとも不思議なかぎりです。やはり桜は日本人のこころに宿るとても魅惑的な存在なのでしょう。

ソメイヨシノなど多くの桜は遠まきに観ると薄いピンク色に見えますが、近くで見ると花そのものは限りなく白色にちかいですね。ピンク色に見えるのは花びらを支えている萼(ガク)が透けて見えるからでしょうか・・・

それにしても、さくらを写真に収めるのは、案外むずかしいものです。
これを撮る前に上手に撮る方法の知識を少しだけ頭に入れたのですが・・・

今年の桜淵のさくらには木々にナンバリングされた札がついていました。
のちに知ったのですが、どうやら「さくらの伝道師」であるこの方が樹種調査のために施されたようです。
この方の熱い想いによって、この地のさくらは今後益々すばらしいものになっていくのではないかと思います。
ところで、この時期になると桜の名所となっている地域が報道されたりしますが、東三河は見所のある場所が多く点在しているなと感じています。
私の住む豊川においては佐奈川沿いをはじめ、自衛隊の通りや市役所に隣接する桜トンネルなどなど。これだけ立派にさくらの木々が立ち並ぶ場所もめずらしいのではと、感じるほどです。
下の画像は、桜トンネル。やはりさくら全体をきれいに写しだすのはむずかしい。

今年もおおいに堪能することができ、幸せな気持ちになりました。
さくらに感謝ですね。
▼ 【100万本の桜の街の奮闘日記】
http://sakurazaka.dosugoi.net/