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2020年05月07日

自分の人生において大切な存在



1976年8月13日金曜日… 
わたしはこの日にギターをはじめました。

中1だった自分は母方の祖母に誕生日プレゼントをねだり、かつて豊橋の広小路にあった
「ヤマト楽器店」の門をくぐります。小学6年のとき、急にエレキギターが欲しくなり、
この日をどれだけ待ち望んでいたか…

「エレキを買ったら、まず最初に"テケテケ テケテケ…"をやろう」と決めていました。
ボディがブロンド色でホワイトピックガード、メイプルネックのテレキャスターでした。
定価が3万円だったかと。

アンプなどはまだまだ高価な時代。
買ってもらえるはずもなく、ガールコード付きヘッドフォンアンプを買ってもらいました。
オマケに 成毛 滋 さんの教則カセットをつけてもらいました。

祖母と一緒に、飯田線で豊橋から豊川まで…
車中、ウキウキが止まりません。

 
でも家に着くと親父から思いもよらに声が…。

“ エレキなんかうるさいからダメだ。スグに返してこい! ”
食堂を営んでいたため、うるさいからダメだとの理由。

当時はまだまだ「エレキ = 不良 』という図式な世の中でした。

そして、渋々フォークギターに交換してもらうために楽器店へ戻っていきました。
自分はエレキの楽曲が弾きたかったため、そのギターにエレキ弦を張って弾いていました。
 
 
 
前置きが長くなりしたが、
当初ギターを買う際にお世話になったのが、現在豊橋の萱町に店舗を構える
【サウンドスタッフ】のMYMT社長です。それからヤマト楽器店へ頻繁に足を運ぶようになり、
やはり現在 サウンドスタッフの店長さんであるMRWKさんとも親しくなっていきます。

その後、1987年3月7日土曜日に【サウンドスタッフ】がオープンします。

MYMT社長とMRWKさんが率いるそのお店へ、そのまま自分も移籍していきました。

新たなお店では、ギター教室とドラム教室をはじめるとのこと。
そこでギターの先生をやってほしいと頼まれます。
そしてサウンドスタッフの初代ギター講師を務めることになりました。

当時はレッスンがあろうがなかろうが、毎日のようにお店へ遊びに通っていましたね。

 
現在のビルに移転するまえの旧店舗では地下にLiveスペースがつくられ、
ココでも幾度かライブを演らせてもらいました。

ビルの4階にある現在の『Live Space Zero』の名は、
移転前の0階にあるライブハウスという名をそのまま継承しているだと思います。
(たしかそうだったかと思いますが詳細は忘れました)

35歳から50歳 手前までの15年ほどギターから遠ざかっていた時がありました。
それでも時々お店に顔を出したりと… やはり楽器屋特有の「におい」が好きなんでしょうね。

ことしの3月で開店から丸33年が経ちました。
お祝いの言葉を述べに行ったばかり。
まさか世の中がこのような状況になるとは、まだまだ想像だにしていませんでした。

自分はギターをはじめてからお付き合いしている楽器屋さんはココしかないので、
万が一、廃業になどなってしまうと、もう通える楽器屋さんがありません。

それではたいへん困ります。
そんな事態にならぬよう、元気な姿を取り戻してもらいたいと思います!

▼【 Continue supporting musicians プロジェクト 】 
https://camp-fire.jp/projects/view/267921